はじめまして、「荒金さとみ」と申します_(._.)_
僕は、会社でひっそりと女性として埋没していた性同一性障害当事者(MtF)でしたが、女装することのできる今の性別を活かしたほうが『人生はこれまでの何倍も楽しくなる』と思ったので、会社を退職し男の娘として活動をはじめました。現在は AV 女優になる夢を叶え、モデルとしても活動中です。これからは、誰かに楽しんでもらえることを生きがいに人生を楽しんでいきたいと思っています。
荒金さとみさんは小さい頃はどんなお子さんでしたか?
おとなしい子・・・ではなく、すっごくヤンチャで手間のかかるイタズラっ子でした(笑)
どう見ても男子そのものでしたが、そんな子がどうして女装に興味をもったのか、とても不思議ですよね。。これからお話ししていきます。
最初に性別に違和感を感じたのはいつ頃ですか?
小学6年生(当時 11 歳)のころです。両親を病気で亡くし、児童養護施設に入所したのがきっかけです。それまでは女子の髪型に憧れるくらいで、違和感を感じるほど性別を意識することはありませんでした。
しかし、施設では厳格な男女別けがされており、男子と女子とが関わる機会が極端に少ないため、思春期の男子同士でHなことをする習慣もあったようです。
ある日のこと、施設の同級生からHなことを求められたのですが、そのころはまだ性欲にも目覚めていませんでしたので、もちろん抵抗はしましたが、『あっ自分、男子から(性的な意味で)女子にみられている?』ということに気づきました。自分が無意識のうちに女の子の髪型を真似ていたこともあり、男子から性的対象に見られていたのだと思います。それから、段々と自身の性別に疑問を抱くようになりました。
また、施設では「男子は野球」「女子はバレー」など、スポーツにおいても男女別けがされており、常に性別を意識させられる環境だったため男性で生まれたことを悔やむこともありました。それから『自分は女の子に生まれたかったんだ』と気づきました。
初恋はどんな方でしたか?
初恋は中学1年生(当時 12歳)のころですが、同級生の女子から告白されました。それまではルックスにも自信がなく『彼女なんて一生できないや・・・』なんて勝手に思い込んでいましたが、アッサリとできちゃいました(笑)
見た目はとても可愛らしくて性格もよい感じの子でした。しかし、施設生活のため門限も厳しく学校帰りに会う程度だったため、一年で別れてしまいました。『ずいぶんと、もったいないことをしてしまった…orz』と、いまでも後悔しています。。
最初に女の子の格好をした時のエピソードをお聞かせください。
はじめて女装をしたのは 24 歳でした。このころはまだ「性同一性障害」という名前だけしか知らず、『恐らく自分もそうだ』と感じていたため半信半疑でした。
昔から女の子の格好を試してみたかったので、ネット通販でレディース物の服や化粧品を買い漁りましたが、いざ女装をしたとき髭すらも隠すことができず、あまりの酷さで『外出なんてできない』と、あきらめ気味でした。
それから3年かけて顔髭を永久脱毛し、徐々に髪型も女性らしく切り揃え、外出できるぐらいまで上達したので再度チャレンジしました。女装に成功して、はじめて外出したときは緊張もしましたが、それなりに達成感もありました。
普段、気を付けているポイントはありますか?
(男性や女性からの視点を考えてナチュラルメイクを心がけている等)
見た目や服装が女性の格好で同年代の女性の動き方を客観的に真似できていれば、コレといって気をつけるほどのポイントはないのですが、声は意外と大切ですので、外出時は男バレしないように声のトーンやイントネーションには気をつけています。いざ、女性モノの洋服売り場で店員さんから話しかけられたとき、気づかれないようにするためにはボイストレーニングが必須だと思います!
これまで男性として生きてきたので普通にしゃべると声のトーンが低くなりがちですが、普段からメラニー法(ボイトレにより女声を出す方法)を使って話す訓練をすることで、自然と女性の声でしゃべれるようになります。
しかし、目の前を歩いているお婆ちゃんが突然倒れちゃったときなどは、声に気をつかう余裕がなくて男バレすることもあります。まぁそういうときには男を出さなければと思いますが、周りはビックリしちゃいますよね(笑)
女性として生きている時のご自身の気持ちはどんなお気持ちですか?
もう慣れましたが、ちょっと前までは自分が本当に女性になりきれているのかが不安で外出時は凄く緊張していました^^ それと、すっごく神秘的で心地の良い気分でした。
以前まで男性そのものだった自分が、女性として生きているのですから、生まれ変わったような神秘的な気分で幸せな気持ちです。
でも、どちらかの性別を意識しながら生きるのは堅苦しく感じることも多いので、いまは一人称も「僕」というキャラに戻して、男性でも女性でもなく両方のアイデンティティーで生きています。
今の自分に至るまでに悩んでいた時期や辛かった経験はありますか?
性同一性障害で悩んでいた時期がありました。
学生時代は頭髪や服装には厳しい学校だったため、頭髪服装検査というのが日常的にありました。男子生徒は髪の毛を耳の上まで刈り上げる校則があったため、自分もハサミで髪を切られました。先生に「大人になってからしなさい」と言われ、『大人になったら薬でもなんでも使って絶対にやり直してやる』と思いながら大人になりました。
もしも、今やり直すことができずに年相応の容姿になっていたら自殺していたと思います。。
高校を卒業し、成人して気づいたときには身体の男性化も進み手遅れ状態で、身体醜形障害みたいな性別違和を発現していました。いままでは自分でもなんとか中性的と思える状態を保っていたつもりでしたが、自覚するぐらい男性化していて、見た目が老けはじめていることに気づいてしまったからです。
大学病院を受診しましたが何も解決することができず、とにかく周りが田舎だったので美容外科にも行けずレーザー脱毛も自分でやりました。ほんと、インターネットが普及していなかったら自分は何もできずに終わっていたと思います。
周囲の人にカミングアウトしたことはありますか?また周囲の目は気にならなかったですか?
会社でカミングアウトしたことがあります。通名を使うのがなかなか厳しい会社だったため、勝手に裁判所で戸籍名を改名した次の日に診断書と審判書を持ち合わせてカミングアウトしました。上司にはギリギリまで隠して女装ができるようになってからカミングアウトしたので、『おまえ、やっぱりそうだったのか!』といった感じでした。
幸い理解のある上司のおかげで女性として受け入れてもらえました。会社の対応が凄く早かったので次の日から女性として働くことができましたが、いきなり女性として働きはじめたので、自分も周りも違和感満載だったと思います。知らない社員からしたら『なに、この人。やっぱり女だったの?』って感じだったと思いますσ(^_^;) それまで男性として働いていて、次の日から名札が女性用に変わっていたのでそりゃビビリますよね(笑)
社内では休憩所も更衣室もトイレも男女別だったため、はじめのころは周りの目がとても気になっていましたが、あえて性別に興味をもって接してくれる同僚も多かったため徐々にカミングアウトすることができました。
荒金さとみさんは会社で女性として仕事をしていたことがあるとのことですが、その時会社で感じていた違和感などあれば教えてください。
会社で感じていた違和感といえば、女性名に改名後、名札などを変えるため現場にカミングアウトしたことによって、「トランスフォビア」が現れてしまったのが一番の違和感でした。トランスフォビアとは、性別移行者に対して差別的かつ不寛容な態度をとる人のことで、その女性社員はことあるごとに嫌がらせをしてきました。
書類を机に叩きつけたり、大声をあげたり、扉を勢いよく閉めたり、業務にも支障をきたしていました。そのため、問題の女性社員は上層部からペナルティーまで課せられていましたが、それでも嫌がらせを続けていました。幸いにも普段からコミニュケーションをとっている上司は「アライ」(トランスジェンダーを理解し支援する人)のほうが多かったので、本当に助けられました。
荒金さとみさんは最初に『自分も AV に出てみたい』と思ったきっかけはなんですか?
AV に出演した理由は数多くありますが、一番のきっかけとしましては、女性と同様に『AV 女優になることで、男性の性的対象に加わってみたい』と思ったのがきっかけです。
どういうことかと言いますと、会社で性同一性障害であることをカミングアウトしてからは女性社員として受け入れられましたが、飲み会などで恋愛の話になると、「元男子とはちょっと・・・」という男性社員が多かったのが、どうしても納得いかなかったんです!
トランスジェンダーは表向き女性として受け入れられていても、過去を知る人たちによって「元男子」という事実が付きまといます。そのため、男性の性的対象から外れてしまうこともあります。それを、トランスジェンダーへの“偏見”という言葉で片付けてしまうのは簡単ですが、そもそも男性の中で「元男子」が性的対象物に発展するまでの情報が不足していることに原因があると僕は気づきました。
しかし、LGBT支援団体がどんなに頑張って講演会を行なったとしても、一般の講演会では公序良俗という一線があるためアダルトは扱えず、性的対象の理解には限界があります。。このように、解決することのできない面を唯一打破できるのは「AV 女優」だと考えました。
もちろん AV 女優に憧れていたので出演しました。昔勤めていた会社が AV 女優の宣材を扱う会社だったため、『女性という一面をこんなにエロ可愛く撮ってもらえるなんて素晴らしいな~(^ω^)』なんて憧れながら仕事をしていました。
現在のお仕事に就いてご自身の気持ちの中で変化はありましたか?
現在は、AV 女優・ニューハーフヘルス・モデルなど、いろいろ兼業していますが、どれも女装した自分を表現して活かすことのできる職業なので、褒めてもらえたりワクワクすることがいっぱいで、とても充実した毎日を送っています。
気持ちの中での変化としましては、会社員だったころよりも自分に自信がもてるようになった気がします。以前までは「性同一性障害」を理由に女性社員としてひっそりと埋没していましたが、女性として働いて暮らすだけではなく、芸能活動としてネットで自分を表現することによって、SNS でもリアルでも多勢のファンの方々が応援してくれたおかげで、とても自信につながりました。
もちろん会社で女性として働くのも間違った選択ではありませんが、僕にはちょっと人恋しさや芸能活動への憧れがあったんだと思います。
今まで一番楽しかった、嬉しかった体験は何ですか?エピソードあれば教えて下さい。
一番楽しかったことといえば、ネットに女装子の友達ができて、リアルでも一緒に遊べるようになったことです。
自分が女装した写真をネットに上げるようになってからファンも増えましたが、女装子の友達ができるようになったので本当によかったです。女装するとき部屋にこもって一人でするよりも、みんなでワイワイしたほうがもっと楽しいですよね♪
あと、屋外で女装した写真がはじめて撮れたときが一番嬉しかったです。ポートレートモデルに憧れてセルフポートレートをしたときのことですが、『これは完璧』と思える奇跡の一枚が撮れたときとても嬉しかったです。それから、どんどんハマってネットにもいろんな写真をあげるのが趣味になりました。
これからチャレンジしてみたいことはありますか?
これからはタレントの活動にもチャレンジしてみたいと思っています。別に何か意見を発信したいとかじゃないのですが、“誰かのヒーロー”になりたいと思ったからです。
実は SNS で中学生や高校生から性のお悩み相談を受けることがありまして、、自分が学生時代に悩んでいたころを思い出しながら相談に乗っていますが、アダルト以外にもタレントとして活動することで、そんな誰かのヒーローになってあげられたらな~と思っています。
これからどんな社会になれば、自分らしく働けて自分らしく生きられると思いますか?ご意見などあればお聞かせください。
いまの社会では女性として生きたい人(または男性として生きたい人)は「性的少数者(セクシャルマイノリティー)」として扱われていますが、多くの場合それは「認識」であって「理解」までは達していないと僕は思います。
性同一性障害に理解が進んだからといっても、トイレは他目的を勧められたり、本気で女性として生きようと考えている人たちにとっては生きにくい世の中です。。僕が「私」という一人称を使って女性として生きようと努力していたころ感じていた違和感ですが「性的少数者」などと、一くくりにした呼び方は、女性として生きようと本気で考えている人にとってはたまったものではありません。
もちろん、カテゴライズすれば良いという訳でもなく、カテゴライズすることによってその枠からはみ出てしまう人もいるわけなのです。「性的少数者」が一番本質に近い呼称なのかもしれませんが、それでは『普通に女性として生きたい』と考えている人たちにとっては“特別扱い”みたいで違和感が抜けません。なので、オープンにする人たちと望む性別で埋没する人たちが違和感を感じなくて生きやすい寛容な世の中になればいいなと思います。
あと、社会全体の規則がもう一度見直されるようになってほしいと思います。学校や会社では、服装や髪の⾧さが男女不平等に制限されがちですが、これからは個人のアイデンティティー(「私はこうあるべき」)をもっと尊重してほしいと思います。中学高校時代は髪を伸ばすたび先生に「大人になってからしなさい」と言われけっこう辛かったので、大人になって卒アルを燃やしたりと、その反動が今になってきているように思います。。
校則や就業規則といった模範が場合によっては人の命を奪ってしまう危険性も孕んでいるので、規則を作るときや指導するときは個人のあり方をもっと尊重してほしいと思います。
また、「自分らしさ」を大切にするには周りに合わせるだけでなく、異変に気づいたら反発できる能力を身に着けてほしいと思います。いまだに「髪の毛は耳の上まで」「日焼け止め禁止」「男女は手をつなぐな」など意味不明な校則が公立高校で目立ちますが、指導者を論破できるだけの能力と SNS での発言力を身につけて自分を守ってほしいです。
これからのご自身の理想のライフスタイルを教えて頂けますか?
これからは仕事ばかりでなく、女装できる人生を楽しんでいきたいと思っています。会社で女性として働いていたころは、それなりに生活も充実していましたが、女装できる自分を活かせる仕事をしたいと思ったので今の仕事をはじめました。なので、今後は仕事の合間にコスプレとか一般の方が参加する女装子のイベントとかにも積極的に参加して自分も楽しんでみたいな~と思っています。
もちろん女性としても男性としても楽しめることはいっぱいあるので、まだまだ人生楽しんで行けたらなと思っています。
最後にこれから女性として生きたい方、最初の一歩を踏み出せない方へ一言お願い致します!
僕は以前まで女性として生きようと努力していた時期がありますが、「女性として生きたい」のと「女装を始めたい」のとでは全く別物で悩む度合も違うので、一概にコレがイイなんてことは言えませんが、最初の一歩となるスタート地点は同じなので日々目標を決めて頑張るのが良いと思います!
僕が最初の一歩を踏み出せたのは『女装子』のブログで女装に憧れたのがきっかけです。なので、女装子・男の娘・ニューハーフのブログの写真を見ながら、女性に近いと思える目標を探して徐々に挑戦していくのが近道だと思います。
周りに相談できる人がいないときには、Twitter やコーデスナップなどで女装した自撮りを載せて評価をもらってみるのも手です。コメントに「可愛い」って書いてもらえると自信にもつながります。
ただ、女性として埋没して生きることばかりを考えすぎると、周りに障害となるものが多すぎてストレスにもつながるので、男性や女性として既存のカテゴリーに自分を当てはめながら生きるよりも、自分らしく生きたほうが人生はこれまでの何倍も楽しくなると思います!
荒金さとみさんから学んだこと
裁判所で戸籍名を改名した次の日に診断書と審判書を持ち合わせて会社にカミングアウトし、女性として埋没しながら勤務をなされていた荒金さとみさん。
そうして現れたのがトランスフォビア【性同一性障害(GID)やトランスジェンダー(TG)に対して差別的かつ不寛容な態度をとる人】や、アライ【GIDやTGに対して理解し支援する人】の存在でした。
幸い理解のある上司のおかげで会社では女性社員として受け入れられましたが、飲み会などで恋愛の話になると、「元男子とはちょっと…」という男性社員の意見が多く現実は理解とは遠く厳しい道のりでした。
いくら女性として受け入れられたといっても「元男子」という事実が付き纏い本来の女性としての扱いとは違ったものだったようです。
今の日本の社会では性同一性障害(GID)やトランスジェンダーなど言葉による表面上の認識はあるものの「男性だから男らしくいなければならない」「女性だから女らしくいなければならない」という固定概念が拭い去れておらず性同一性障害という言葉の背後に拡がっている世界までの理解はまだ広まっていません。
しかし、アライの存在のように理解的に歩み寄ってきてくれる人達も増えてきているので性同一性障害(GID)である私たち自身も周囲の人が今まで培った概念があることを汲みとり、1人ひとりに敬意をもって理解へのトリガーを与えていく必要があるとも今回のインタビューで感じました。
現在、荒金さとみさんは自分に自信がもてるようになりワクワクすることがいっぱいで、とても充実した毎日を送っているようです。既存のカテゴリーや概念にとらわれず、自分自身を認めてもらえる環境に身を置き自分の特性を活かして輝き続ける荒金さとみさんにこれからも注目です。
今回もご覧いただきありがとうございました。